随想 「蝉氷(せみごおり)」~山田功先生

先日、山田功先生の雪氷文様展に伺った際、冊子「六花」に掲載された随筆文を頂きました。

とても素敵だったので掲載させていただきます。

前回アップした蝉の羽のような写真のお話です。

ちょっと長いですが最後までお付き合いいただければ幸いです。

名古屋では3月も中旬になると、厳しい寒さも和らぎ、氷もほとんど張らなくなる。今年(2017)の終氷(しまいごおり)は、3月11日であった。その日自宅ベランダの水を入れた魚箱に、すくい上げると壊れてしまいそうな薄い氷が張った。それを室内の偏光板をセットしてある撮影装置に置いた。カメラのファインダーを覗いてみると、幾本もの氷の筋が極彩色で輝いていた。6年目にして初めて出会った美しい氷である。みるみる消えていく薄い氷が最後の輝きを放っていたのだ。その偏光写真が(写真1)である。

講談社版カラー図説日本大歳時記を調べてみると、冬の季語に「蝉氷(せみごおり)」がある。解説には「薄い氷は蝉の羽のようだから蝉氷ともいう」とある。3月11日の氷は、まさにクマゼミやツクツクボウシの翅のようにみえる。

氷の筋が偏光によって色づき、筋の間は黒い。この筋の間には、薄い氷がある。薄すぎて色を発しないのである。それが、翅の透明感を感じさせる。クマゼミの写真も載せてみた。翅と氷を比べていただきたい(写真2)。セミの翅は軽くて、丈夫な構造で造られているに違いない。さて薄氷の結晶はどのように作られているのだろう。

薄い氷を蝉氷という俳人の観察眼と表現力には、驚くばかりである。友人の豊永利英氏は、「蝉氷」を詠んだ句を探してくれた。古い時代では見つけられなかったという。現代俳句協会「インターネット俳句会」より紹介してもらった2句を次にあげておく。

溶けぬ事祈る思いの蝉氷

蝉氷黄泉の国から一筆箋

一般に、薄く張った氷は「薄氷(うすごおり)」という。日本国語大辞典で、「薄氷」を調べると、ひとつ目に「薄く張った氷。はくひょう。〈季語・冬-春〉「うすらひ(薄氷)」とある。そこで、角川俳句大歳時記を開いてみた。春の季語として「薄氷(うすらい)」がある。解説では「春先になって、ごく薄く張る氷のこと。溶け残った薄い氷のこともいう。(略)冬の氷と違って薄く消えやすいことから、この季語には淡くはかない情感がある。(略)薄氷が春の季語となったのは近代以降である。」

「薄氷(うすらい)」を詠んだ句は多い。ここには2つ紹介をしておく。

うすらいやわずかに咲ける芹の花 其角『猿箕』

薄氷の草を離るる汀かな 高浜虚子『春夏秋冬』

「薄氷(うすごおり)」には、他の意味もある。日本国語大辞典に戻ると、二つ目に「模様の名。氷のひびのはいった様子を図案化したもの」(写真3)三つ目には「富山県小矢部市石動の古い銘菓」とある。

名古屋の菓子老舗両口屋の夏の菓子「室の氷」のデザインはこの「薄氷」である(写真4)。また、「小矢部市石動の銘菓」とは白梅軒五郎丸屋の「薄氷」という二百数十年の伝統を誇る銘菓である。これも全体のデザインが「薄氷」である(写真5)。

五郎丸屋の「薄氷」の解説には次のように書かれている。「宝暦2年の冬、弊家五代目五郎丸屋八左ェ門は、庭のネコヤナギに気をとられ、思わず水たまりの薄氷を踏みわった。その不定形に砕けた氷の美しさそのイメージが銘菓「薄氷」を生み出したといいます。

割れた氷の形に美を見出した日本人の美意識には驚くものがある。それは、均整のとれた美しさではない。日本庭園や抹茶茶わんにも見られる美と同じなのだろうか。

薄氷の偏光写真を撮ると、氷の結晶が色を変え、ひびの入った模様で現れる。結晶と結晶がぶつかり合う境界線は、美しく複雑である(写真6)。こんな美に魅せられ私は、ここ6年、冬になるとベランダの氷の偏光写真を撮り続けている。毎回形を変え、色を変えて現れる氷の結晶は、見あきることがない。

2016年12月~2017年3月の冬では41日、氷が張った。だから、冬の朝は撮影で結構忙しい。この回数は名古屋に住む私にも驚きであった。名古屋は冬になると伊吹おろしがよくふく。伊吹山を越えた、乾燥した冷たい風である。名古屋の夏が暑いことはよく知られているが、冬は冬で結構寒いのである。わが家のベランダは、西側にあり、南北吹きさらしである。ここに発砲スチロールの魚箱を置き、この中に氷を張らせたのが撮影の始まりである。これが誠にうまく氷を作ってくれるのである。洗面器やポリバケツなどよりよく張ってくれる。

氷の厚さは、数ミリ以下が多い。偏光写真を撮るのに都合が良い厚さである。2016年~2017年の冬で、最高の厚さは1月25日の13mmであった。その日名古屋の最低気温は-2.5℃であった。こうした厚い氷が張ったときは、撮影用ライトで氷を溶かし、チンダル像を作る。氷に太陽光や電灯光を当てると、表面が溶ける。同時に氷の中でも何かがきっかけとなり氷が溶け出す。溶けた氷の形は雪の結晶に似た六出である。熱の加え方によって樹枝状であったり、柏葉状であったり、円形に近かったりする。また、氷の結晶軸の向きにより、線状にに見えたりもする。科学者は氷の結晶軸を調べるのにこのチンダル像を使うという。

天然氷は、冷蔵庫の氷と違い、飽きることのない美しさを見せてくれる。名古屋は程よい厚さの天然氷ができる幸運に恵まれていたのである。

最後にひとつ教えていただきたいことがある。

歳時記に、冬の季語「氷」の傍題として、「蝉氷」などと共に「綿氷(わたごおり)」がある。山本健吉の「解説」には、「小川の底などについて綿のようにできる氷を綿氷ともいう。」とある。これがどんな氷をさしているのかがわからない。氷の観察をしていると、氷の裏側に、柔らかな樹枝状の結晶が何センチにも成長して綿のように繋がっていることがある。これは綿氷と関係があるのだろうか。ご教示願いたい。

補注:五郎丸屋の菓子「薄氷」の箱内緩衝材は、プチプチではなく厚さおよそ1.5cmの美しい綿である。箱を開けた時、お菓子とは別の感動がある。